センシティブな内容が含まれている可能性があります。

 かれこれ前の投稿から3か月が経ってしまった。

前回の記事を書いたときは、なかなか仕事が忙しい時期で、そこからフルスロットルでここまで来たが一旦仕事が落ち着いたので更新する。


今日は、宗教とマルチビジネスの話。

※海外では政治と宗教の話はするな と言われるくらい、センシティブな領域の話なので、得意じゃない人は読まないでね。


常々、宗教とマルチビジネスって、似てるよなぁ…と思っていたのだが、

統一教会の一連の騒ぎや、マルチビジネスをやっている元同期のインスタ等を見ていて、

やはり根本は同じだなと思ったので、ブログにまとめる。


私の周りには、そこそこマルチビジネスをしている人がいた。

幸い仲のいいメンバーにはいないが、合コンで出会った人だったり、あまり仲良くない同期だったり、大学の同期だったり様々だ。

基本的に私は人の話をニコニコ聞く人間なので、話を聞いてくれるんじゃないかと思うのか、アプローチを仕掛けてくる。


そういった人たちと話している中で絶対出てくる言葉が、「尊敬している○○さん」「師匠みたいな存在の○○さん」である。

そもそも、私とあなたもそんなに仲良くないのに、しょっぱなから、どこの馬の骨とも知らない「尊敬する○○さん」と会わせようとしてくるムーブは、客観的に見て違和感しかないのだが、彼ら(彼女ら)は、そんな違和感にさえ気づけないくらい、その○○さん を信じているようにみえる。


中には、完全にビジネスと割り切って、真剣にやっている人もいるのかもしれないが、どっぷりハマってしまっている私の周りの人達は、本気でその○○さんと仲間たちを愛しているように見える。

いわば、宗教におけるコミュニティと同じように見えるのだ。


私は信心深いタイプではないので、いわゆるよくある、年1回、お寺にお墓参りだけしとくか…(最近はそれさえ出来てないけど!)という人間だが、世の中には熱心に何かを信仰し、布教活動をしようとする人たちがいる。


その信仰の根底にあるのは何なのか。

それは、「心のよりどころとなる存在」と、「同じ人(思想)を信じるコミュニティ」という心理的安全が保たれた空間 にあると思っている。

人は、日々生活する上で、大小さまざまな決断をしている。

私みたいに直観で決断をしている人や、データの裏付けをとって決断をする人もいれば、何かの指針に沿って決断を下している人もいる。

何かを決断し、行動し、生きていく上で、指針や信じる者が欲しい人が、熱心な宗教活動を行っているように思う。


こういう書き方をすると誤解されそうだが、信仰自体を否定するつもりは毛頭ない。他人に害をなさないという前提で、信仰は個人の自由だと思うし、誰かに否定されるものではない。

ただ、マルチビジネスのように「みんながビジネスでうまくいく」といった明らかに正しくない情報を刷り込んで、ボスを信仰させ、下っ端(いわゆる私の周りの人たち)のコミュニティを壊滅に追い込み、壊滅したことによってさらにビジネスのコミュニティへの依存度を高め、さらに搾取していくという図式が、私は大嫌いだ。


このビジネスモデルを考えた人間は悪魔だと思う。

ビジネスは基本自己責任で、失敗がつきものではあるが、図式的に1握りの人間だけが甘い汁を吸う形になっているのが、マルチビジネスだと思っている。


…かといって、別にさして仲良くもない友達を引き留めたりしないし、そっと遠くから見るだけなので、何をするわけでもないのだが…。


何が書きたいかわからなくなってきたが、もし私と仲いい友達で、変なビジネスに手を出そうとしている人がいれば、一回私に連絡してほしい。論理的に止めてあげます。


何かを信じたい人、決断の指針を示してほしい人も、私に連絡してほしい。

あなたの代わりに決めてあげるし、アドバイスしてあげます。


やる気だけはあります!いつでも教祖になれます!お布施よろしく!!

(よしよし、これでマルチビジネスの人たちが言ってた不労所得で生活する日も近いな…)



作成時間:30分

※本記事は完全に個人の見解です。気分を害された方は申し訳ございません。

※教祖になる気はありません。私に誰かの人生を背負えるほどの器量はありません。





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