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初めての海外、フランス・ドイツ・ベルギーの珍道中

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投稿頑張るといってはや半月。ブログに書くネタがなくてまた投稿が空いた。 なぜか考えてみたが、日々自宅の中で仕事とゲームをする毎日で、インプットがないからアウトプットができないんだなということに気が付いた。 インプットというのは、本や情報を仕入れることもそうだが、外での出来事や旅行など、体験も含まれてくるので、外での活動が減っている現状では仕方ないともいえる。 何かネタを…と考えていたところ、「過去の海外旅行を振り返る」という企画を思いついたので、まとめていく。 完全に自己満企画…まあ、どの記事も自己満か。 レッツゴー 第一回目は、人生初の海外旅行 フランス・ドイツ・ベルギー旅行!!(2015年2月) 人生初、ワタシエイゴシャベレマセン、状態で、まさかの行き返りの切符だけを買ったフリーの旅行。 ひとえに、英語が喋れて現在翻訳の仕事をしている友人Aと、当時フランスとドイツに留学していたB,Cのおかげである。マジありがとう。ここで価値観変わって、海外旅行大好きマンになりました。 まずはお写真を…(PCにはあまり写真残ってないんだけど) エッフェル塔様 ブリュッセルのグランプラス ケルン大聖堂 綺麗な頃のノートルダム大聖堂 友人のおかげで、パリの地下鉄の乗り方も、観光名所も難なく回れ、初めての海外旅行に刺激を受けまくりで最高だった。 ただ、フリーの旅行だったので、大小トラブルもしばしば。だいぶ前の旅行だが、印象に残っている。(今は、トラブルも旅行の醍醐味だよね、と思っているが、当時は焦っていた) ①ヴェルサイユ宮殿お休み問題 地球の歩き方に、ヴェルサイユ宮殿の休みはないと書いていたのに、現地に行ったら休みでした。次の日仕切り直して入れたけど、この時に地球の歩き方は案外いい加減、ということを学びました。 ②切符の磁気破損、英語で説明できない問題 パリの地下鉄に乗ろうとしていた時のこと。買った切符を通そうとすると、磁気破損のため通れず、駅員さんに説明しようとするも、私の英語力では磁気破損が伝えられず、丁寧に「改札の通り方」を説明してもらいました。 I don't use this ticket, but I can't through that gate!!!! みたいなことをずっと言ってたら、窓口の駅員さん、めっちゃ丁寧に改札の通り方教えてくれたわ。 泣く泣く

承認欲求おばけとの戦い

 またまたブログをさぼってしまった。 短い内容でもいいから、継続したい。大した内容でなくても、継続することが大事な気がする。頑張る。 本日は、人間の生きる糧「承認欲求」について。 コロナで人と会わなくなった昨今、人から承認してもらう機会はぐっと減っている。 今まで対面で話してきた上司・同僚と顔を合わせなくなり、些細な「ありがとう、助かった。」という言葉を受け取らなくなったり、人前で何かを披露する機会が減ったり、誰かに何かを自慢する機会が減ったり…。 その代わりに、より承認欲求の巣窟になっているのがSNSで、熾烈な “いいね獲得争い” が繰り広げられている。 承認される対象は自分自身ではなくてもいい。自分の暮らし、ステータス、趣味、子供、ペット etc… なんでもいい。自分が所有している何かが人に認められれば、心は満たされる。 SNSは自由な場であり、ある意味本来の使い方の1つな気もする。 何でもいい。何か1つでも、自慢できるものを持っている人は胸を張っていいと思う。 ちなみに私には何もない。仕事も、趣味のゲームも、暮らしも、ステータスも、何1つ自慢するようなものがなく、漫然としていて、日々がのっぺりとしている。 今まで何をもって承認欲求を満たしていたのか、と聞かれるとわからないが、少なからず顔を合わせる同僚や先輩の言葉だったり、いろいろな場所に旅行に行った記録をSNSに載せる行為だったり、何かしらあったのかと思う。 それが、今は1つもない。 そんな自分を虚しく思う反面、心の奥底で思っていることがある。 「別に人から認められなくてもいい。自分が納得できていればそれでいい。」 …我ながら達観している。 ただ、この考えを維持するのはけっこう難しくて、人から認められない分、(自分の納得ってなんだ?納得してるってどう測れるのか?)みたいに、着地点がわからなくなることがしばしばある。 だからみんな、人から認めたがられるんだろう。やはり、修行を積んで悟りをひらくまでは、第三者の承認は必要そうだ。 現状の「私には自慢できるものは何もない」状態を解消しないといけないわけだが、唯一言えるとしたら、このブログだろうか。 いまさら、ブログ書く人ってあんまりいない中、ちゃんと思考がアウトプット出来て、それを読んだ友人が後日、感想を言ってくれる。 それが、一番今満たされることかもしれない。 と

ゲームに生きる騎士たちへ

最近、ゲームしかしていない。1日の半分が仕事で半分がゲーム といっても過言ではないくらい、ゲームしかしていない。 そんな中での、ゲームプレイスタイルに関する、ちょっとしたつぶやき。 チームプレイ系のゲームでは、“女性プレイヤーが、複数の男性プレイヤーに補助されながら、ゲームを楽しむ” という伝統芸能、「姫プレイ」なるものがある。通称、姫プ。 私がよくやっているAPEXも、3人1組チームのゲームなので、「姫プ希望」な「APEX女子」なるものが、一定数存在している。 そのプレイスタイル自体に異論はない。姫プされたい女子と、姫プしたい男子で需要と供給が成り立っているので、なんの問題もない。 男性比率の高いゲームでは、自然と女性は優しくされがちだとは思うが、私自身は、負けず嫌いな性格と、人に迷惑をかけたくないという精神が入り混じって、どうにか上手くなりたいという気持ちが先行しているため、姫プされたいとは全く思わない。一緒にゲームをする人の性別は問わないし、後腐れなく遊べればそれでいいと思っている。 おそらく一生、「姫」界隈の人と交わることはないのだが、外野で見守っていて、すごく気になっていることがある。姫を囲っている男性陣は、今一度、冷静に考えてほしい。 「姫プしてほしい」「〇〇してほしい」と言葉に出して、相手に伝えることができる女子は、相当図太いし、しぶとい。そこらへんにほっといても生きていける。まじで。(笑) ※これは、「子犬系男子」に貢いでいる女子にもいえることかと思う ゲームのみならず、日常生活でも、「何かをしてもらうこと」が上手な人は一定数いる。そういう子は異性のみならず、同性に何かをさせるのもうまいし、正直そのスキルはとてもうらやましい。 学生の頃は、そういったスキルの高い人たちを妬むことも多かったが、最近はもう生まれ持った性格と才能の差なので、仕方ないかなと思っている。 私は、周りから、少しは図々しくなった方がいい、と言われることが多いので、「来世は姫として生を受けることを希望」くらいを、神様にお願いしておこうと思う。 容姿端麗、頭脳明晰で、なにとぞお願いします。 作成時間:20分